02日 9月 2018
認知症で施設にお世話になっている母が、この夏、あまり食事を摂らなくなってしまい、急きょ、入院となった。 入院した直後から、さらに状態が悪くなり(なんでだ?)、とうとう「胃ろう」の選択を迫られた。延命治療はしないと決めていたが、まだ意識のある母がこのまま病院で、点滴だけでただ衰弱していくのはあまりにも悲しい。「胃ろう」だと今までの施設も受け入れてくれるとのこと。病院では、点滴を外さないようにミトンを24時間装着され、本人も外そう外そうとして可愛そ過ぎる。 こういう選択は本当に難しい。もし、ノンデュアリティーを知ってなければ、非常に悩み、選択する事にストレスを感じていただろう。選択結果は、私の意図とは関係なく決まっているとしたら、、、今回、私がどのように選択していくのか、客観的に観察をしてみた。まずケアマネさんや、介護経験のある友人、親戚などに聞いてみる。やはり、流れは出来ていく。「胃ろう」と言う選択になって行く。何を選択しても間違いはない、と言う信頼だ。実は選択する人など誰もいない、全てはただ起こる。 弱ってしまった母をみるのは涙が出る。しかし、これも避けることの出来ない現実なのだ。

24日 8月 2018
ノンデュアリティーを知り、「私」が悟るわけではない、もう、全てはここにある。と言われても、「私」にはそれは認識できない。どこまで行っても、悟りたい「私」は悟ることは不可能なのだ。 陥りやすい誤解は「私」と言う二元の状態を否定している事にある。 体の不調、何か満たされない気持ち、仕事がうまくいかない、やる気が出ないetc...数かぎりない何か世間で言う「ダメ」な状態からなんとか逃れようとし、今の状態を無意識に否定してしまう事。 「こんな状態は受け入れられない」から「これもまあアリなんだな」と全て受容してみる。結局は「こんな状態が悟りであるはずがない!」な状態に全てが宿っているのだ。

16日 8月 2018
ジョーントリフソンの言葉にはいつもハッとさせられる。https://resonanz360.com/2012/10/12/joan-no-happy-ending/ ハッピーエンドを放棄することは、今これを受け入れる事である。イマココにしか全ては無く、イマココを受け入れるしか、方法はない。失った事もないし、もう何処かへ行く必要もない。そもそも、自分の人生や人格が理想という雛形であるという幻想を追い求めて、無駄な努力や逃げるエネルギーの浪費によって、今この瞬間を味わうことを忘れ、失望と希望の狭間を行き来し、どれだけ翻弄されて来たことだろう。 ニュースでは人命を救ったヒーローを讃え、利己主義で犯した罪人を弾劾する。善と悪、見事に2極に塗り分けられたこの世界の中で、自分の中の悪をひた隠しにし、ヒーローになるべく自己を非難する。 世の中が全て善人になったら、善人の中でまた善悪が生まれる。果てしない二極化。果たして、、、善と悪に境い目はあるのだろうか?? ジョーンが言うように海が様々な波を作り出すように、私たちの世界はどんな見え方をしていようが、全て完璧であることを認めるしか無いような気がする。

29日 7月 2018
非二元のメッセージでは、この世界は幻想であると。とてもとてもリアルな幻想。それはまるで夢の中では夢と気付いていないのと全く同じ状態。しかし、冷静に考えてみると、私たちは物心ついた時から、周りの概念とレッテルを押し付けられ、「思い込み」と言う幻想の中で無意識で行きて来たではないか?!それは「…はこうあるべき」と言う概念であり、癖づけされたものであり、「……しなければ、生きていけない」と言う思い込みでもある。一度身につけた概念を手放し、脱ぎ捨て、もともとのナチュラルな本質に戻る。それは新しく手に入れるものではなく、もう既に自分の中にあるもの。だから努力して得るものではないのだな。努力を手放して、幻想から目覚める事、それを私たちは究極に求めている。ここに来て、トレガー博士の提唱して来たアプローチの本質も見えて来る。ただありのままを感じ、これ、ここ、全てがある。

18日 7月 2018
非二元関係の翻訳をされている古閑博丈さんのブログを読んでいて、トニーパーソンズについての事にハッとした。愛というのは起きている全てである、二元で生きる私達にはこの無限の愛の概念を理解することは不可能かもしれない。それは今回起きた豪雨災害にも言えることであり、避けられないことを避けるために先回りすることがいかに無力で無駄な努力であるかを物語っている。以下抜粋ーーーーーー それは、彼のメッセージには個人的な意図というものがない、ということです。 海の波が砂の城を飲み込むときに、海には何の意図もないように、そしてハリケーンが多くの人の家を吹き飛ばすときにも、風には何の意図もないように、トニーのメッセージは、ただ自然に起こる現象として、個人に向けられた種類のメッセージの数々を粉砕しているだけなのだ、と。 それを理解したとき、トニー・パーソンズという現象が、無条件の愛のひとつの表現であることが、腑に落ちました。-----------以上 ただ、全てがある。それしか無い。

12日 7月 2018
先のブログの続き。 そもそもは今年に入って、昨年からの公私共々の大きな変化が、ひとしきり落ち着いて来たのだが、2月頃からの胃腸の不調。もともと胃腸虚弱で、40才すぎに早期更年期でひどい体調不良になったキッカケで10年以上、友人の漢方薬局のお世話になっていた。しかし、胃腸改善に効果無く、いつもの信頼する友人のセラピストにお願いしてセッションを受けるが、今回は全く功を奏しない。しかも、その友人から心地の悪いアドバイスを受け、とりあえず西洋医学のお薬を飲むことで改善させていた。そこで、偶然出会ったのが非二元(ノンデュアリティー)についての動画だった。 私という幻想の自分の体調が悪くなることを怖れて、体調をなんとか回復させなければいけないと思い込んでいた。そのために放っておけば自然に回復するものを、安心して放って置けなかったのだ。体の事だけではない、もっと学ぶ事で、自分の精神や人生がより良くなると信じて、より素晴らしいと思われるティーチャーを求めて学びを続けていた。幻想だ!それが全く必要ないのだと分かった。人生はジョークだ!ゲームだ!この今ある生命を味わう事の方が全く自然な事だと気づいたのだ

12日 7月 2018
このブログって、リンクをFBとかLINE@とかにアップしない限りはほとんど読まれる事もないので、自分の記録用に書いておこうと思う。たまたま読んだ人は何かのご縁があるかも😆 5月に非二元のアイデアに出会って、私の概念は一変した。一変というのはちょっと大袈裟かもしれないけど、私が今まで探し求めていた中に探していた物は無かったんだと目から鱗が100個ほど落ちた😆 探求する事でより良い人生になって行くのだ!と信じて生きて来たけれど、根本的な解決にはならないのだと分かったからだ。探求すれば探求するほど、今すでにある、この生命の輝きを全く無視して、マヤカシの夢の現実を一生懸命光らせようと無駄な努力を続けるだけだという事に気づいたからだ。 もちろん、私に解放や悟りが訪れた訳でなく(非二元では悟る私はいないのだが)、ただ気づきがあっただけであるが、今までの価値観がガラリと方向を変えてしまったのは間違いない。 生きて行くのに、大きな選択や努力も必要なく、ただ今あることに胸を開いて受けれて楽しめばオッケーであることが心から腑に落ちた。避けなければならないことなど何もなく、全てはすでにここにある。

02日 6月 2018
ゴールって何だろう? それがふと幻想だったと気づく瞬間が訪れる。 目指していたものが、まるで砂漠の中を歩き続けていた先に見えるオアシスのように、たどり着いたら消えている。 そして、夢から目覚め、自分は生まれた時からオアシスにいたのだと気づく瞬間だろうか。 成し遂げないと行けないものなど何もない。 すでに完璧なのに。 なのにこの不完全な感覚はどこから来るのだろう? 分離感と呼ばれる、満たされない感覚。 その器は一生満たされることはないのに、 人はずっと満たそう満たそうと努力を続ける。 頑張っても頑張っても満たされることのない器を。 満たすのをヤメてみてはどう? ついでに、どんどんその中のものを楽しく使ってみてはどう? あれ?全然減ら無ない! 使っても使っても湧いて来る! ってか、、、もともとその量で十分満たされてたんか!😆 そろそろ、今までと違う方向にエネルギーを向けてみてはどうだろう?

30日 5月 2018
昨日の続き。。。 「私」という自我のエネルギーは動き続けるエネルギー、何かをしなければ存在できないエネルギー。 「本質」のエネルギーは立ち止まるエネルギー、ただ在るエネルギー。 トレガーアプローチの「ポーズを取る」という概念はここから来る。動かすことの変化よりも立ち止まった時に起こる変化が本質に戻る変化。

30日 5月 2018
楽しかった松山の総会!翌日にはメンバー向けにトレガーアプローチの練習法的なレクチャーも行いました。^^ トレガーアプローチを練習し始めて、今までの概念で練習していると、混乱が起こって、カオスになることがある。という質問を受る。 トレガーの概念は私たちが受けた教育の概念と真逆かもしれない。 努力しない、頑張らない、我慢しない、楽しんで練習する、思考を使わず感覚で。 言うなれば、トレガーアプローチの上達のために努力すればするほど、頑張れば頑張るほど、上達と反対方向のエネルギーになる、ということである。 そう、プロになる、上達するという目標に向かって走り始めるとゴールが見えなくなり、(ゴールが果てしない先にあるように感じられて)カオスに陥るのだ。 トレガーの概念はすでにみんなが持っている、既に在るもの。実は、私たちは自分が大人になるにつれ身につけてしまった「癖」によって、その本質的なものが見えなくなってしまっているだけ。ですから、トレガーの学びは身につけてしまった「〜しなければならない」という「癖を手放すこと」に有る。そこにトレガーの本質は見えてくる。上達するというゴールを目指すものでは無

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